久しぶりに早く帰れたので、家まで歩いて戻ることにした。
自宅から職場まで、最短距離を歩いて45分くらい。うろうろしていると小一時間くら。
朝は職場まで徒歩でやってくることが多いけれど、帰りはどうしても疲れと、時刻も遅くなってしまうので歩いて帰ることはあまりない。
健康を意識して歩いているわけでもない。
歩くと何かしら写真が撮れる。それが面白いと言うか、ストレスの発散に繋がっているように思っている。
悲しい性とでも云うのでしょうか、シャッターの音を聞くと安心し、二三日、シャッターボタンを押していないと妙にソワソワしてくる。
この季節は日暮れも遅いので、少し早めに職場を離れることができれば、夕方も写真が十分撮れる。
今日も、「写真でも撮りながら帰るか・・・」と、仕事が一段落したところで大学を出た。
歩くと写真が撮れる保証はないのだけれど、周りに気を配りながら歩いていると、色んなものが目に飛び込んでくるので、それはそれで結構楽しい。
今日は楽しいことではないのだけれど、すずめの死骸と出くわした。
車の往来が結構激しい道ですずめが死んでいた。
「すずめが死んでいるな・・・」と思いながら、一旦、その横を通り過ぎた。
このままにしておくと、車の車輪の下敷きになり無惨な死に様を晒してしまうだろうから、車の通らない草むらにでも移してやろうかと考えないでもなかった。
反対側の車線は車が渋滞している。
おそらく私の行為は車の中から見られるだろうと、すずめの亡骸を拾い上げることを躊躇し、そのまま通り過ぎた。
何メートルか行き過ぎたところで、やはりこのままでは可哀想だと、再びすずめのところまで戻り拾い上げた。
熱いアスファルト道路の上に転がっていたからか、体は暖かかった。
死後硬直もなく、体も冷たくなっていなかったことから、ほんの少し前に落命したので、車に敷かれる難を逃れたのだろう。
そこに、こころやさしいおじいさん(私ですよ)が通りかかって、ヨカッタ・ヨカッタ。
草むらの土の上に寝かせ、上から枯れ草をかぶせた。これで一安心。
それまで一回もシャッターを押すことがなかったのに、すずめを埋葬したあと、何枚か写真が撮れた。
すずめが「ありがとう、こころやさしいおじいさん」と恩返しをしてくれたとは思わないが、良いと思うことをした後はこちらの気持ちも何かしら変化し、目の前の世界の見え方が変わるのではないだろうか。
祖母の教えの一つ、『情けは人のためならず』ということがこころのなかでクルクル回っていた。

































































































