私もそれなりに歳をとったと云うことでしょうか、写真の審査員としてお声がかかることがあります。
先日、ある写真の審査会場で次のような話がありました。
『写真はピントだね。』
平たく言えば「ピントくらい会わせろよ・・・」と云う気持ちを込めて、発言されたのだとその場の雰囲気で推察しました。
その発言者はアンセルアダムスばりに、画面内の全てのものにピントが合わせることを目標とされているようで、私が選んだ極めて被写界深度の浅い写真に目を三角にしておられました。
『写真はピントだね。』
この考え方に私も同感です。
「ピントくらい会わせろよ・・・」と言いたくなるような写真が多くなっていることも事実です。
オートフォーカスカメラが普及して、ますますピントの怪しい写真が増えたような気がするのは私だけでしょうか?
便利になることで、人間の機能が低下してしまう。
皮肉な話です。
ピントはカメラが機械的に合わせてくれているはずですから、ピントが甘くなる原因はブレでしょうね。
簡単便利に慣れて、カメラを持つ手に「気」が入らない・・・といったところでしょうか。
話を最初に戻します。
私の言う『写真はピントだね。』は、ピントをどう自分の写真に活かしているかということです。
画面全体にピントがきていないといけないなんて極端なことは考えていません。
例えば、ブレやボケの写真でも、それが効果となって写真が生きてくるようにすることです。
きりきり手の切れるようなピントも写真の魅力です。
また、ブレたりピントが曖昧なことである種の感情を盛り込んだ写真も魅力的なはずです。
『写真はピントだね。』の審査をした展覧会に、審査員の作品として出品依頼がありましたので、わざとブレた写真を選んで出品します。
それは、2月22日の〔亀カメラ〕『猫の日』に載せた写真です。
暗い場所で絞りを開けて撮影していますので、被写界深度が浅く、画面手前はボケていますし、シャッタースピードも遅くて、動く猫はブレています。
『写真はピントだね。』と言った審査員はどんな顔をして私の写真を見るでしょうか。
念のために言っておきますが、手ぶれはありません。猫はぶれていても、顔の周りの壁やブロックんはピントがきています。
さて、今日の写真は何にしましょうか。
雨の降る博多の町に出てみました。
その帰りのバスの窓からお定まりの博多湾を撮りました。
夕方から急に寒さが戻って、雨の蒸気と外の寒気とで、バスの窓ガラスが曇り始めました。
窓ガラスの曇りを利用し、レンズを解放にしてピントの怪しい写真を撮ってみました。


