タイムカプセルの最近のブログ記事

記念の写真は私たちにとって最も身近な写真ではないでしょうか。
作品気取りで作った私の下手くそな写真なんかより、記念写真の方を人々は喜んで見てくれるでしょうし、貰ってくれることでしょう。
だから、記念写真をおざなりにしてはいけません。

持てる表現力を十二分に発揮して撮る・・・こんもことはどのような写真でも同じはずなのです。
ろくでもない記念写真しか撮れない人間に、写真が撮れるはずがありません。
だから、原点である記念写真をしっかり撮りましょう。

な〜んて、堅苦しいことを考えていたのでは、記念写真の女神は逃げて行ってしまうかもしれませんから、先ずは、その場の空気を取り込むことを第一にすべきでしょう。
リラックスして撮る。
それでいて、きちんと撮れている。
そんな、記念写真が撮りたいと思い続けてうん十年。

未だに、テキトーな写真しか撮れていません。
それでも、記念写真が好きですから、機会があるごとに「記念写真撮るよ・・・」と言っては、カメラの前に立つ人たちを当惑させています。

今日の記念写真も大学を訪ねてくれた卒業生たちを撮ったものです。
最初の写真は今年の6月11日に撮ったものです。
吉津くんが訪ねて来てくれましたので、大学院生の植村くんを誘って三人でしゃぶしゃぶを食べながら呑んだ記念写真です。

C0611.003 福岡市東区 M9sn35a#

CB0607.001 D40X#

二枚目は、同じ吉津くんが2008年6月7日に訪ねてきてくれたときのものです。
二枚の写真の間にちょうど二年の月日が流れていることになります。
吉津くんの顔が少々オヤジっぽくなったような・・・

そして、三枚目の写真は梅木くんです。
撮影は今年の3月18日。
撮影位置は二枚目の吉津くんを撮った写真・・・と書くと、吉津くんが男前というようにも理解することができますが、そうではなくて(失礼)・・・とほぼ同じ場所です。

二枚目と三枚目とではやはり約二年の月日が流れていますが、背景は随分と様変わりしてることが見て取れます。
記念写真もこうして見てみるといろいろと懐かしいことが見えて楽しいものです。
やはり、記念写真は素晴らしい。

JC0318.006福岡市東区 K7-21#

今日は、おまけでもう一枚。
四枚目の写真は日髙くんと奥さんと子供さんを2008年6月23日に撮ったものです。
これも二枚目、三枚目の写真と同じ場所です。

CB0623.001 D40X#

二枚目の吉津くんの写真とは僅か半月くらい後になりますが、この間にも背後の様子は変わっています。
そこで、皆さんが知ることは、私が模様替えの好きな男だと云うことですね。
卒業生の皆さんの多くは、学生だった頃、私の突然の模様替え宣言の巻き添えになって、汗を流した記憶が蘇ってきたことでしょう。

それにしても、今日の表題、『記念写真から読み解く研究室の歴史』は、少々大袈裟でしたね。

今年三月に梅木くんを撮った写真からは、研究室の模様は今も変わっていません。
そろそろ模様替え・・・?

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JC0209.052 広島市南区出島 b35zm#

昨日の"亀カメラ"で、『バカにつける薬は無い』と失礼なことを書きましたが、そのときに浮かんだことから始めます。

私は大阪出身ですから「あほ」(阿呆)と良く言います。
関西人は「バカ」と言われると少々、カチンとくるものがありますが、「あほ」と言われてもそれほど不愉快なことはありません。
よく聞く話ですが、関東の人は逆に「あほ」と言われると小馬鹿にされたようで、気分を害するようです。

「あほ」と云う短い言葉にも、その発音の違いで、いろいろなニュアンス含んでいます。
関西人はその、かすかなニュアンスの違いを使い分け、嗅ぎ分けてコミュニケーションをしているのです。

例えば「あほ」と断定的に言うのではなくて、「あほやな〜」となるとちょっと可愛さを含んでいます。
私の好きな「あほやな〜」ですが、言葉を正確に文字に置き換えると「あっほやな〜」となります。
「あ」と「ほ」の間に小さな「っ」を入れたのですが、この「っ」は発音するかしないか微妙です。

「あほちゃうか」ともよく言います。
「ちゃうか」ですから疑問の言葉ですが、必ずしも疑問を投げかけている訳でもありません。
「あっほやな〜」と同義で使うこともあります。
しかし、「あほちゃうか」は怒りを含んで使われることも少なくないので、ここの嗅ぎ分けは他国者には難しいらしく、言われて頭にくる人も少なくないと思います。


未使用 CB0306 (145)O西区 sx35a

市川準監督の映画、『大阪物語』をご存知でしょうか?
池脇千鶴さん、それに夫婦漫才師役で沢田研二さんと田中裕子さん・・・誰が主役なのか「分からへん」
この「わからへん」は池脇千鶴さんが中年オヤジにナンパされたときに発する一言・・・おっと、今日は「あほ」の話しでした。
その『大阪物語』で池脇千鶴さんが使う大阪弁がなんとも可愛いのですが、先ほどの「あ」と「ほ」の間に小さな「っ」を入れた「あっほやな〜」を見事に使っています。

私は62年の人生のうち、生まれて高校を卒業するまでの18年間くらいしか大阪で暮らしていません。
その後は現在の福岡で暮らしており、人からは「関西弁が出ませんね」とよく言われるようになりましたが、大阪弁のニアンスを嗅ぎ分ける能力は未だに衰えていないようです。

そんな私でも、話す相手が大阪の人だと、立派に大阪弁に戻っているのです。
大阪で撮影をしていて、相手に話しかけるときなどは、もう、一人前の大阪人に化けています。
そうすることで、撮影がスムーズに行くことも多いのです。

ことばは思考に影響を与えます。
言葉を覚えていく過程で染み付いたものは、未だに私の思考に強い影響力を持っていることは疑いようはありません。
『三つ子の魂、百まで』です。

関西人の泥臭さ、ええ加減さ、浪花節的人情、声の大きさ、ファッションセンス・・・などなど、若い頃には毛嫌いしていたものが、この歳になって愛おしくなっています。

最後に、昨日のフォローです。
『バカにつける薬は無い』と、私の学生を馬鹿呼ばわりしたようになっていますが、実際は皆、可愛い学生たちですから、正しくは、愛情を込めて「あほにつける薬はあらへん」ですよね。
なんと言っても情にもろい関西人を根っこにもっている私ですから、こてこてに可愛がりますよ。

CB0307.073 大阪市城東区#

私の生まれたところの商店街で出身校の制服を見つけました。
私が着ていたものとは違っていると思いますが、なんだか懐かしくてレンズを向けました。
心の中に染み付いたものと、目の前のものが結びついたとき、シャッターを押す。
だとすれば、大阪には撮るものが無尽蔵にあると言えます。

大阪での18年間は、その後の44−45年間に比べ、私の中に多くのものを植え付けているはずですから。


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JC0209.052 広島市南区出島 b35zm#

母猫の日

「父の日」はあまりぱっとしませんが、「母の日」はなにかと話題になります。
母の日は春から初夏に向かうカラッとした良い季節なのに対して、父の日は梅雨時のじめじめした時期ですから、ぱっとしないのも当然と言えば当然です。

母の日はカーネーションやプレゼントなど商業的にも利用価値があるのでしょう。
一方の父の日はと云うとデパートの売り上げ向上の一助になっているのかいないのかさえはっきりしないくらい目立ちません。

アメリカでは「母の日」も「父の日」も国民の祝日ですが、母の日は1914年に祝日になっていますが、父の日が祝日になったは1972年と半世紀以上も「母の日」に遅れています。
とかく父親とは影の薄い存在ですね。

母の日には「カーネーション」、父の日には「バラ」の花を贈るのだそうです。
私が小学校に通っているときに、母の日に母親に渡すように「お母さんありがとう」と書いた小さな紙が添えられたカーネーションの造花が土曜日の下校時に配られました。
それは赤いカーネーションと白いカーネーションでした。
お母さんが居ない人には白いカーネーションが配られてのです。

このことがいつまで続いたのかは記憶にありません。
記憶にないと云うことは、ひょっとしたら、この年一年限りだったのかも知れませんが、いま思うと、お母さんの居ない子供にはちょっと酷な話だったのかもしれません。

なぜこのようなことを覚えているのかと云うと、私はその「白いカーネーション」を渡されて組だったからです。
いまでも、母の日になるとその「白いカーネーション」のことを思い出しますので、やはり子ども心に何らかのショックのようなものを覚えのでしょう。

しかし、それから50年以上過ぎたいまでは、ちょっとボケがはじまった頭の中では、そんな出来事もおぼろげな記憶となり、「そんなことあったんかいな・・・」と他人事のような記憶にすり替わろうとしています。
歳とともに昔の嫌な記憶はどんどん忘れていけるので、ボケも案外悪いものではないかもしれません。

「人間いつまでも頭がはっきりしていると死ぬのが怖くてやってられないよ」と知り合いの医者が言っていましたが、人生の終わりを迎えるそのときいに、適度にボケていたほうが極楽往生できるのかもしれません。

母の日の話に合った写真・・・
白いカーネーション組の私ですから、母の記憶と云うものがありません。
母の日に母親のことを考えようとしても、顔さえ浮かんでこない状態です。
はてさて今日の写真は何にしましょうかと考えているときに浮かんだのが大分県の別府で出会ったお母さん猫の写真です。
近くに子猫の姿が見えませんでしたので、授乳を済ませて風通しのよいところで一休みといったところでしょうか。

大分県別府市

別府の猫の写真を探しているときに、こんな写真も見つけました。
別府には高文連写真部の主催による講演会の講師を仰せつかって来ましたので、講演会場に向かう前に昼飯を済ませておこうと入った食堂で撮ったものです。
私の席から見えるところに母親と子供が並んで座りました。

こどもの手には白いカーネーションならぬ白い風船。
母親がその風船を、テーブルの上に置いてあった「ごますり器」に結びつけました。
なんとフォトジェニックな状況を作り出してくれる母親でしょう。
ここに写真の好きな爺さんが座っているのを知っていたかのようです。

私のイメージは、誰も居ないところに白い風船だけが浮かんでいる・・・といったものでしたから、欲を言えば、メニューとおしぼりを引っ込めて欲しいところですが、それこそ欲と云うものです。
思い通りにいかないところを、いかに写真にしていくか・・・これが写真の面白さでもあります。

母子二人の姿が画面に入らないように、そして、メニューが出来るだけ画面のなかに出て来ないようにと、座って居る場所を左に移しながらフレーミングして撮りました。

CP0620.016 大分県別府 M8.2sn28a#


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JC0209.052 広島市南区出島 b35zm#

いちばん好きな音

テレビ画面から「ひぐらし」の声を聞こえてきました。
ひぐらしの鳴き声は大好きです。
遠い昔、少年時代(皆さんと同じように、私にもそんな時代がありました)に隣近所のガキが一緒になって出かけた夏休みのキャンプ場での夕暮れのシーンが頭に蘇ってきます。

川沿い。両サイドに山。
極めて平凡な景色が蘇ってきます。
夏の光の輝きは消え、薄墨色の空気が漂いはじめる黄昏の光。
すべてが懐かしい記憶です。
そんな記憶をひぐらしの声はいつも呼び覚ましてくれます。

キャンプ場での記憶は良いものばかりではありません。
川の流れのなかに浸けて、冷やしておいた食料が消えてしまった事件も記憶の底に残っています。
ただ、それがどんな物だったかと云うところは消えてしまっています。
冷やして食べるものですからスイカだったかもしれませんが、どうもスイカではなさそうです。
当時は、キャンプと云えば缶詰でしたから、果物の缶詰だったのかもしれません。
盗まれたのか、流されたのかは定かではありませんが、当時は「盗まれた」と思い込んでいました。

テレビから聞こえて来るひぐらしの声を聞いていて、「一番好きな音」はひぐらしの鳴き声だけれど、それに続く好きな音は何だろうかと考えたとき、銭湯の桶の音が蘇ってきました。

まだ、日が高い時間帯の銭湯。
昼の光の射し込む浴場のなかに響く桶の音もなかなか良い物です。
自宅の狭い風呂場とは違った心地よい響きの音です。
子供時分、遊びの最後はみんなで銭湯に駆け込むことでした。
湯からでたら、コーヒー牛乳や乳酸飲料、ラムネなどをなけなしの小遣いをはたいて飲む。
この習慣が、大人になっての、仕事の後の一杯ととなったのでしょうか。

国道沿いを歩いているとき、どうした加減か突然車の往来が途絶え、それまで聞こえていた車のエンジンの音やタイヤの音などがスーッと消え、無音のエアーポケットに入り込んだようなときがあります。
耳のなかが真空状態になったような、あの瞬間も好きです。
聞こえる音だけではなく、音がスッと消えたその瞬間もなかなか良いものです。

バスに乗っていて、踏切待ちなどで、バスのエンジンが切られたときの車内の音も好きです。
踏切のカンカンと鳴る警報の音も、線路際に立って聞く音と、エンジンを切って無音になったバスの中で聞く警報の音とはあきらかに質的に違っています。
同様に、エンジンを切ったバスの車内で聞く雨の音もなかなか良いものです。
いままで、絶えず耳を刺激していたエンジンの音が消えた時のあの、ホッとした気分。そこに入り込んでくる踏切の警報の音や、バスの屋根に当たる雨粒の音は、ついつい聞き入ってしまいます。

植田正治さんの写真集に『音のない記憶』と云う本があります。
植田正治さんはタイトル上手な方でした。ご苦労もあったとご本人から聞いていますが、それにしても印象的なタイトルの作品が多くあります。

『音のない記憶』や『童暦』(わらべごよみ)、『小さな伝記』『風景の光景』『軌道回帰』、作品集のタイトルだけでも数え上げれば切りがありません。
そのなかでも、『音のない記憶』は私の一押しです。

最初に挙げたひぐらしの声や銭湯の浴場に響く桶の音などは、遠い記憶と結びついており、音から遠い記憶が呼び覚まされてくるのですが、植田さんがヨーロッパを旅したときの記憶の景色はサイレント映画のように音のない世界として写真に記録されました。
植田正治さんの写真の多くは、その「音のない写真」のように思います。

さて、ここまで書いて今日の写真を何にするか・・・
私の「音のない記憶」を呼び覚ましてくれる二枚の写真が見つかりました。
極めて私的な記憶で恐縮です。まあ、私の写真と書いているものがそうですから今更、謝ってもしかたないですけれどね。

CP1108.008 福岡県糟屋郡新宮町 er24a#

CP0621.057 大分別府 M8.2sn28a

最初の犬の写真ですが、私が子供の頃、我が家に〔ごん〕と云う名の犬が居ました。
どう云う経緯で我が家の来たのか記憶の糸が切れてしまっているようで、思い出せないのですが、私がどこかで子犬を拾ってきたのかも知れません。
その犬が、なんとも小汚い毛色の犬で、お世辞にも可愛くは見えなかった記憶が残っています。
この犬のことで、記憶に残っていることがもう一つ。
その犬に「ごん」と命名したのは父親でした。どう云う記憶の糸が結ばれたのかは分かりませんが、そのことははっきりと覚えています。
この犬の置物を見たときに、「ごん」を思い出してパチリ。

二枚目の写真は「牛乳石鹸」と「自転車」が記憶の呼び水です。
私が生まれ育った大阪の家の近くに「牛乳石鹸」の工場がありました。
私の記憶が間違っていないのか「牛乳石鹸」について調べてみたところ、本社は大阪市城東区今福になっており、私の生まれた家も大阪市城東区今福ですから間違いなないでしょう。
そんな記憶に刷り込まれた「牛乳石鹸」ですから、いまでも「牛乳石鹸」の製品を選んで買ってしまいます。
昼間の光の残る銭湯の浴場で桶の触れる音を聞きながら、牛乳石鹸で汗を流す・・・ななかな良いじゃありませんか。

「牛乳石鹸」と同様なのが「松下電器」です。いまのパナソニックですが、松下電器も少年時代の記憶と結びついた企業で、電気製品を買うときに、どうしても松下電器の製品を贔屓にしてしまいます。
私が最初に買ってもらった自転車は「松下電器」の製品でした。

松下電器に勤めていた叔父が買ってくれたもので、色は灰色(地味ですね)だった記憶があります。子供用ではなくて大人用の自転車でした。
今でこそ、自転車なんてものはそのあたりに打ち捨てられるように転がっていますが、昭和30年代の自転車は子供にとって宝物のようなもので、ビックプレゼントでした。

歳とともに昔を懐かしむようになっています。
記憶のなかに登場する人たちの多くは故人となっておられますが、あの世とやらで息災に暮らしておられることを今日もお祈りする次第です。


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JC0209.052 広島市南区出島 b35zm#

「ゼミナール」「卒業制作・研究」と私の面白くもない授業の後は夕方から呑み会です。
会場は大学近くの町、香椎でした。
「香椎」は松本清張さんの小説『点と線』に出て来る町です。
私が学生時代には、小説に書かれているような町の様子をとどめていましたが、いまでは随分と変わりました。
JR香椎駅と西鉄電車の香椎駅を有しており、バスの便もあり、言わばターミナルとしての町ですが、今ひとつ発展しきれない状態が続いています。

学生にコンパ会場の場所を聞いても今いちはっきりしません。
その場所は私の記憶では焼き鳥屋さんのはずなのですが、幹事の学生が言う屋号は違っていました。
店に行ってみると、私の記憶の町では焼き鳥屋だったところは、居酒屋に変わっていました。
町は、日々変化するものなのだと云うことを痛感しました。

町に限らず、消えてしまったものは戻りません。
記憶にとどめられた町を懐かしむだけです。
そんなときに写真は記憶の呼び水になってくれますので、写真は撮っておくことです。
無くなってから、写真に撮っておけば良かったと考えても、後の祭りです。
気になるものには、どんどんレンズを向け、シャッターを押しましょう。
消えてしまったのでは、写真に撮れません。

コンパはゼミに入ってきた三年生を歓迎する、いわゆる「新歓コンパ」と云うやつでした。
歓迎される三年生は女子学生二名が欠席。
なんだか分かりませんが、クラスにとけ込もうとする意思みたいなものが感じられなくて、可愛がりようがありません。

三年生が勢揃いしないのと同じように、歓迎する四年生も全員勢揃いと云うわけにはいきませんでした。
気分の盛り下がる「新歓コンパ」でしたが、今時とはこんなものでしょう。
最近の学生は、昔の学生のように飲み食いを喜ばなくなりました。
お酒の席が嫌なのかどうかは知りませんが、将来、まともな社会生活が営めるのかどうか心配になってきます。

一人寂しくパソコン画面からの光に照らされながら、カチャ・カチャやっているのはお得意なのですが、生身の人間とのコミュニケーションを避ける若者が多くなっています。
人と眼を合わせることが出来ない学生とは、横並びに並んで話をしたこともあります。こんなことはやはり異常です。
こういった人たちのこころの平穏を取り戻すのに、写真が役立つと言う話を聞いたこともありますが、なかなか難しいところです。

最後に申し添えますが、新歓コンパはなかなか有意義であたっと思っています。
参加した全員が、和気あいあいとして、良いチームワークが築けたと思っています。
その輪の中に私も入れたようで、満足、満足です。

今日の写真は30年前に沖縄の沖縄市で撮ったものです。
すでに、このような状況は目にすることは出来ないと思いますが、私の記憶の中の沖縄市は今でもこの写真のような姿をとどめています。

未使用 沖縄県沖縄市|1980年

未使用 沖縄県沖縄市|1980年


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JC0209.052 広島市南区出島 b35zm#

おぼろな記憶

福岡市東区01

1月20日は〔M8記念日〕。
言い方を変えると「デジタル記念日」とも言える。
2007年1月20日にLEICA M8を使い始めている。
おそらく、前日の19日に手に入れて、早速、その翌日から使い始めたものと思う。
「思う」とは、そこらあたりの記憶が曖昧と云うことで、三年ほど前の記憶も定かでないのも困ったものだ。

M8が発売されて、「自分にも使えるデジタルカメラがようやく出た」と思ったことは覚えている。

LEICA M8を使うようになって、私の写真は銀塩写真からデジタル写真に大きく変化した。
2007年1月20日にLEICA M8で撮った写真は全て黒白写真でJPEG。
このときは、デジタルでも黒白写真をするつもりだったようだ。

おぼろな記憶もあれば、定かな記憶もある。
年々歳々、おぼろな記憶が増えてきたように思える。


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JC0209.052 広島市南区出島 b35zm#

左肩上がりと卒業式

福岡市東区

一昨日の〔亀カメラ〕で、指が歪んでいる話をしました。
毎日、カメラを持ち歩く関係で、カメラを握る方の手の中指が歪んでしまったようです。

昨日は温泉の話から、植田正治先生のことに話が及びました。

骨が歪むということと、植田先生とに関係して思い出したことがありますので、今日はその話から入ります。
歳をとると、物忘れが激しくなって・・・まだ、激しいというほどのことはないかも知れませんが、まあ、そこそこ物忘れが多くなっておりますので、思い出したときに書いておかないと今度、いつ記憶の表面に浮き上がってくるか分からないので書きます。

風呂の脱衣場(わが家の場合は洗面所ですが)にはだいたい鏡が取り付けられています。
風呂に入るときは、そそくさと衣服を脱ぎ捨てて、浴室に入りますが、風呂上がりなどでは、ときどき鏡に映る裸の身体が目に入ることがあります。

鏡に映った上半身を見ると、左肩が少し上がっています。
『右肩上がり』ならぬ、左肩上がりです。
衣服を着ているときはあまり気にならないのですが、裸になってみると、左肩が上がっているのがよく分かります。
この歪みも、右手の中指と同様、写真と関係あるようです。

カメラや、カメラの入った鞄を方から提げたときに、それらがずり落ちないように、どうしてもそちらの肩を持ち上げるようにしてきたのが原因のようです。
今では、カメラの入った鞄は襷掛けで斜めに掛けていますが、若い頃は格好を気にしていたのか、多くは左肩に下げていました。

話の前後はすっかり忘れてしまいましたが、あるとき、植田正治先生からも同様の話を聞いたことがあります。
これは写真家の職業病のようなもので、植田先生の友人の写真家、秋山庄太郎さんは、もそうだと言っておられてと思います。
そのとき、植田先生はどちらの肩が上がっていると言われたのか忘れてしまいました。

しかし、昨日の〔亀カメラ〕に載せた植田先生と私のゼミの学生たちとが一緒に写った記念写真を見てみると、植田先生は私と逆で右肩上がりでした。
(この後、昨日の記念写真をこちらに移し、昨日のところに植田正治先生が女子学生を撮影しているところを撮った写真を入れました。)

1992.11.04 植田正治先生と

一緒に写ってる私はと見ると、やはり左肩上がりに見えます。
「左肩上がり」よりかは、「右肩上がり」と言った方が発展性があって良いですね。
「左肩上がり」は見方を変えれば「右肩下がり」で今の日本経済と一緒でジリ貧状態を言っているようで行く先芳しくありません。
この歳になると「ゆく先」が無いから、まあ。良いか・・・


今日は大学の卒業式でした。
博多港にある〔マリンメッセ〕という体育館のようなところを借りきって式は行われました。
これで、2008年度も終わりです。
と言いたいところですが、卒業式の後、また大学に戻って、いろいろと書類を書く仕事に追われ、まだまだ2008年度は終わりそうにありません。
どうせ右肩下がりですから、あくせくと働かなければね。

昨年の卒業式の日にはたくさん写真を撮った記憶がありますが、今年は会場でも全く写真を撮りませんでした。
本日撮った写真は下の一枚だけです。

仕事が一段落してから、香椎の町に出ました。
バスが来たので飛び乗ると、なんとそのバスは都市高速を走るバスで、〔香椎〕は通りません。
高速道路に入る手前のバス停で降りて、そこから歩いて町まで行きました。
この辺りは西鉄電車の線路が高架になった関係で古い建物が一部取り壊されたりして開発が進んでいるところです。


CP0317(001) 福岡市東区香椎  et24a-

建物が取り壊されると、その裏側にあって、いままで人の目にふれることがなかった部分がむき出しになっていましたので、一枚撮っておきました。
最近では寂れ気味だった香椎の町ですが、この開発で右肩上がりに発展・・・無理かな。

床屋

CB1109 (016) 宮崎市


私が子供の時分は、日曜日の朝の床屋は賑わっていたような気がします。
休みが日曜日くらいしか無かった時代ですから、日曜日でないとゆっくり床屋にも行けなかったのです。
また、日曜日は特別のお出かけ日で、その前に床屋にでも行って小奇麗にしておこうということだったのでしょう。
普段よりもちょっと晴れがましいことが行われるのが日曜日だったと思います。

今日のように、国民の休日なんて洒落た休みがいっぱいあるわけでもなく、一家の大黒柱が休めるのは日曜日だけで、その日曜日は子供にとって心待ちの日でした。

私の父親は映画が好きで、日曜日の朝に「さてと・・・」と言って、その次に「映画に行くか?」言うのが常でした。
ですから、父親が「さてと・・・」と言ったときには、こころがうきうきしたものです。

映画を観て、美味しいものを食べて、そして最後に本屋に寄って本を買ってもらう・・・これが子供の私にとって最高の日曜日でした。
私の本好きは、子供時代のこんな経験からきているようです。
本を買うのは今でも楽しいことです。

それに比べると映画館で映画を観ることは少なくなりました。
小さなテレビ画面で見る映画と、映画館の大きなスクリーンで観る映画とでは、印象が異なります。
やはり、映画の神髄に触れるには、周りが暗く、日常の雑念から切り離された映画館と云う空間のなかで観るべきなのでしょうが、ついつい無精をしてしまっています。

群馬県高崎市


私の父親はそんなに難しい映画を観る人ではありませんでした。
ですから、よく連れていかれたのは邦画のご気楽映画でした。
映画好きというようりか、昭人30年代には映画しか娯楽がなかったのでしょう。

子供を一緒に連れて行くのですから、子供向けの映画を上映している映画館に行くなんてことはしませんでした。
子供にはあまり分からない内容の映画だったのでしょうが、たまの休みの日に父親と一緒に出かけることが無性に嬉しかったのです。

美味いものを食べることについては、私も大阪人の血が流れているようで、安くて美味そうな店を探すのが好きです。
高価で美味いのはあたりまえ。安くて美味い店を見つけたときには嬉しくなります。
撮影に出かけた町で、これは・・・と思う店に入って、口に合うものが出てくると、その町全体が良い町に思えてしまいます。

福岡市博多区(かろのうろん店内)


最近、何かと気忙しくて、私の好きな時間が流れ、安くて美味しい店のあるそんな町に出かける時間が少なくなりました。
こんなに休日が増えたのに・・・
やはり、休日が貴重だった、そんな時代だったからこそ、その日を思いきり楽しもうと云う気持ちになれたのかもしれません。

有り余る休日は、中身が薄まるばかりなのかも知れません。
映画館も床屋も、町の書店も昔の面影はありません。
どうも、私は時代遅れの世界に生きているようです。

そうそう、なんで床屋の話から書き始めたかと云うと、今日、床屋に出かけました。
髪の毛は薄くなっても、残っている毛は伸びるものです。
私の行きつけの床屋は10時開店で、私が店の前に立ったのは丁度10時でした。

日曜日は朝から立て込んでいると予想していたのですが、私が一番乗りで、店の中は点けたばかりの石油ストーブの匂いがしていました。
いつものことですが、頭を触ってもらっている間はぐっすりと寝ています。
目が覚めると、この店には珍しく、私の他に二人も客がいました。

老夫婦二人で切り盛りしている床屋ですが、いまも日曜日の床屋は ほんの少し 忙しいようです。


路地

CB0306 (069)-


路地歩きが好きです。
華やかな表通りの道よりも、一日のうちの限られた時間しか陽の光が射さないようなそんな路地を抜けて散歩していると気持ちが満たされてます。
そうです、気分は永井荷風さん。
〔日和下駄〕ならぬ〔日和写真機〕が私の散歩スタイルです。

路地好きは、少年期の生活空間の影響が大きいのかも知れません。
私が生まれ育ったのは大阪市城東区今福中一丁目と云う、庶民が暮らす町でした。
戦後のどさくさがまだ続いていたような時代ですから、現在私が住んでいるような新興住宅地と呼ばれるようなものもなく、戦前からの暮らしがそこにありました。

CF0303 (008) et28a 福島区-


私が生まれ育った家は玄関の他に、路地の奥から裏庭に出入りできるよにもなっていました。
裏庭と云っても庶民の住宅のことですから、大人になった今見ると「エッ、こんない狭いの・・・」といったものだと思います。
庭には洗濯物干し台があり、万年青の鉢植えなどがあったのを覚えています。

CF0303 (014) et28a 福島区-


人一人がようやく通れるような細い路地でしたが、遊びに行くときの抜け道でもありました。
今日では路地もだいぶ少なくなったでしょうが、福島区など戦前からの名残のある町では、今も抜け道的な細い路地に出会うことができます。

もちろん私の場合、散歩と写真を撮ることとは二つ合わさったものですから、路地には私が写真を撮りたくなるようなものがの潜んでいます。

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