写真ノートの最近のブログ記事

Panasonic GH2を買った話しは昨日の〈亀カメラ〉に書きました。
こんなことをやっているから、「カメラは何台くらい持っているのですか?」とよく聞かれます。

私も月給取りですし、庭に金のなる木が植わっているわけでもありませんので、自ずと限度というものがあります。
その限度いっぱいをぎりぎりやりくりしながら、気になるカメラを手に入れているのです。
その、やりくりの一つに「下取り」というのがあります。
ですから、使わなくなったカメラ、興味のなくなったカメラまで手元に残っていることはありませんので、それほどの台数を抱え込んでいる訳ではありません。

「下取り」は決して率の良い方法ではありませんが、これも致し方ありません。
カメラも飼い殺しになるよりは、次の活躍の場が得られるので喜んでくれるでしょう。

「カメラをよく買いますね」と言われたときには、「これも仕事ですから・・・」と言うことにしています。
立場上、よく学生たちからカメラについてに相談を受けます。
「カメラを買いたいのですが、お薦めのカメラは?」などと聞かれたときに、出来るだけ自身で使ってもた上で、良いと判断したものを薦めてあげたいのです。

とは言っても新製品を片っ端から買って使ってみるなんてことは出来ません。
ある程度はいろんな情報を頼りに絞り込みをして、最後の最後まで気になるカメラとして残ったものが現れたときに、財布の底を叩いてみるのです。

それが、今回の場合は〈Panasonic GH2〉という次第です。

Panasonicのカメラは以前に〈G1〉を使った経験がありますが、このときには「こんなものか・・・悪くはないけど・・・」といった程度の印象でした。
そのときの印象が平凡だったので、その後の〈GH1〉は触手が動きませんでした。

そして今度の〈GH2〉です。
購入の決め手は・・・
特に思い当たりません。
このカメラに関しては〈直感〉です。

まだまだ見極めが出来るほど使い込んではいませんが、今のところは普通に使う分にはよく写るカメラです。
私には少々こってり過ぎるくらい、色の乗りも十分です。
ただ、ちょっと過酷な条件での撮影では、粘り越しの弱さみたいなものを感じます。
このあたりが、撮像素子の小ささからくるものかどうかは分かりませんが、マイクロフォーサーズ共通の弱みですから、おそらくそうでしょう。

粘り越しが弱いといっても、私の期待が大きすぎるのかも知れません。
考えてみれば、35ミリフィルムだってそうでしたから、これくらい写れば上々なのでしょう。
値段も安いし、期待し過ぎるのは酷というものかも知れません。

JC1101.022 福岡市東区 GH2 g14|2.5a#

JC1103.039 福岡県遠賀郡 GH2 g14a#


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みかん猫67

小さな空き地を眺めていました。
とりたてて何があるという空き地ではありません。
言ってしまえば、何もない空き地です。
何が気になるのか自分でも分かりませんが、ぼんやりと眺めていられる景色でした。

とりたてて写真に撮るものもない・・・そんなものを写真に撮りたくなる、悪い癖が私にはあります。
へそ曲がりだから、「どうせ、あんたらには分からないでしょうけどね・・・」と、写真で皆さんに喧嘩を売っているのかも知れません。
「これは凄いでしょ」とか「奇麗でしょ」とか、何か、見るべきも、分かりやすい要素のようなものを写真に盛り込んであげないと、安心できなくて、分からない写真、くだらない写真と片付けてしまう人たちへの挑戦・・・そんなに、格好よくもないし、能動的でもないのですが・・・です。

でも、それじゃ作り手として、あまりに身勝手なような気もしないではありませんので、せめて、「写真画像」としての魅力を盛り込めればと考える次第です。

つまり〈写真力〉で見せるということ・・・写真そのものでありたいということだけです。

写真を構成する「先鋭」「諧調」「質感」、それに「色彩」といった要素をどう取り扱うかは写真作家それぞれの考えるところですし、一人の写真作家のなかでも、変化や振幅がありますので答えは一つではありません。

私の好む写真画像は、先ほど述べた諸要素を正の方向に引き出したものです。
つまり、シャープで、グラデーションやテクスチュアがきちんと再現され、カラーも抑制の利いたものです。

11月6日の〈亀カメラ〉でも触れましたが、こういった写真を得るには、銀塩カメラの場合はフィルム、デジタルカメラの場合は撮像素子のサイズが大きい方が有利です。
また、レンズ性能や、カメラ自体の精度なども要求されますので、大きなガラス玉が必要でしょうし、カメラ自体もでっぷりと肥満したものになります。

冒頭に話しました「何もない空き地」を眺めていて、これを写真にするためにも、やはり大きな撮像素子のカメラが欲しいな・・・などと考えてしましました。
いけない、いけない。

JC1023.010 福岡市西区西ノ浦 NEXe16#

JC0918.001 福岡県田川市 M8.2st35#

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みかん猫67

マイクロフォーサーズ

一般的に写真は〈カメラ〉が無いと写せません。
つまり、写真を撮りたければいつでも、何処でもカメラ同伴でないといけないということです。
いつも持ち歩くのですから、大きかったり、重かったりでは身体的、精神的に負担が大き過ぎます。

いつでも持ち歩けるカメラとなると、婦女子の細腕や、私のような年寄りの筋張った腕には小さくて使い勝手の良いカメラがお似合いです。

フランスの写真家、アンリ・カルティエ・ブレッソンとライカカメラの関係は有名な話しですから、ライカ使いの名人としてブレッソンの名前を知っている人も多いと思います。
ライカは手のひらに収まる小さなカメラで、尚かつ高性能ということで、ブレッソンはライカを使い続けたようです。

写真を撮る人間は目立たないことが大事と考えたのでしょうか。

昨今では、プロもアマチュアも大きなボディに、どでかいズームレンズをこれ見よがしに着けて、大仰に振り回すことで喜んでいる輩が多いようです。

私などもフィルムを使う、銀塩写真を長くやってきましたので、考え方の底流には必ず銀塩写真的なものが流れています。
その一つが、フィルムのサイズです。

精緻で諧調が豊かな写真を好みますので、どうしてもフィルムサイズの大きなカメラが良いと考えています。
デジタルカメラにおいても、基本的にはこの考えは間違っていないと思います。

デジタルカメラの撮像素子の規格に〈フォーサーズ〉や、〈マイクロフォーサーズ〉というサイズがあります。
13.5mm×18mmですから、35ミリフィルムの一齣の1/4くらいの大きさしかありません。

APS-Cサイズといわれる、マイクロフォーサーズより大きな撮像素子を、マイクロフォーサーズ並みのコンパクトなボディに組み込んだ、Ricohの〈GXR〉や、Sigmaの〈DP1〉などが出たときに、「これで、で、フォーサーズも終わったな」と思ったものです。

ところが、今でもマイクロフォーサーズは元気に生き延びております。
小さいのによく写るから。
デジタルカメラにおいては、銀塩フィルムの場合よりも、小さな撮像素子サイズでも良く写ると考えるのは私くらいのものでしょうか・・・

JC1023.003 福岡市西区西ノ浦 EP1mzd17#

JC1023.012 福岡市西区西ノ浦 EP1mzd17#


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みかん猫67

昨日の〈亀カメラ〉では「以心伝心」ということを話題にしました。
もともとは仏法の神髄を無言のうちに弟子に伝えることだそうですが、一般的には相手の考えていることが言葉で聞かなくても分かる・・・そういったことです。

若い学生たちと、年老いた私の間は「以心伝心」はなかなか難しくなりました。
ジェネレーションギャップというやつでしょうか。
私はよく学生に対して怒りをぶつけます。
立腹の原因について、くどくどと話すことはしません。

状況把握能力が掛けている若者にとっては、なぜ自分は先生を怒らせたのかが分からないようです。
先日、ある学生から「なぜ怒られているのか、話してくれないと分からない・・・」と言われました。

怒りの理由について、一から十まで、懇切丁寧に諭すように話す。
そんなことしていたら、こちらの怒りも鎮まってしまうというものです。
怒りはぶつけるものです。
怒りをぶつけられた方は、恐れおののき、教えが骨身に沁みるのです。

「言ってくれないと分からない・・・」と言われたときに、私の頭に浮かんだことを正直に話しますと・・・
「なんと鈍感なことか」
「これで、写真が撮れるのかいな?」です。

我が家には猫が同居していますが、猫と私とのあいだに、理解し合える「ことば」は存在しません。
でも、彼らは動物の勘で、私の行動の意味を理解します。
猫たちは日々の私の行動習慣からいろいろなことを学習し、その知識から割り出して対応してくるのでしょう。

観察すること。
気を配ること。
こころを配ること。
推測すること。
推し量ること。
こころに刻むこと。
まだまだいろいろあるでしょうが、日々、こういったことをきちんとやることで、感受性は磨かれるのです。

私が写真に撮るものたちは、言葉をもちません。
ただ、そこに無言で存在するだけです。
こちらが、その存在に気付いてやらないとおしまいです。
気付いてやれるこころが〈感受性〉です。

彼らは人間の言葉を持たないけれど、何らかのかたちでこちらにアピールしてくれているのです。
私が好きなものは多弁で且つ、大声でアピールしてくるものではありません。
口数が少なく、ぶつぶつと小声で、まるでお経のようなものを唱えている・・・そんな微かな波動を受け取る。
そういったものたちとこころを通わせた結果、レンズを向けます。

被写体が「話してくれないから気付かない・・・」なんて、情けない話しです。
猫と私とのコミュニケーション、それに、そこかしこに潜む私の被写体たちとのこころの交流こそ「以心伝心」ですね。

やはり、写真の極意も、仏法の奥義同様、「以心伝心」で伝えるべきものなのかも知れません。
「何故?」
「その訳を話してくれないと分からない・・・」
なんて、ここでその理由を聞きたがるようでは、まだまだですね。

JC0130.042 東京都新宿区 sn35#

CP0823.156 広島県大崎下島 sn28a

最後に、若い学生ばかりを責めては可哀想なので、一言お詫びの気持ちを述べておきます。
先生から、いくら、理不尽な怒られ方をしても、お互いのこころのなかに信頼関係が築かれていれば、あれこれと迷うことなく着いていけるというものです。
学生から信頼を得られない、私が、あれこれと偉そうなことを言う資格がないのかもしれません。

だから、私は言葉を口にしないのです・・・相変わらず屁理屈だけは一人前です。
これじゃ、学生といい勝負ですね。


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みかん猫67

いまでは死語になってしまいましたが、1980年中頃くらいから、「新人類」と言われる世代が登場するようになりました。
若者との意思の疎通がうまくはかれなと感じた親父連中が、訳の分からない人類ということで「新人類」と、当時の若者を称して言ったことだと思います。

「新人類」と言われた人たちは、年代的には私より少し若い人たちになりますので、いまでは「新人類」が社会の中心に居ることになります。
はたして、彼らも現代の若者とのジェネレーションギャップに戸惑っているのでしょうか?

ほんの少し前になりますが、いい大人が、訳の分からないことを言い出したり、突飛な行いをして話題を集め、「宇宙人」などと言われて喜んでいました。
その「宇宙人」と私は同年の生まれですから、きっと私の言動も若い学生たちには理解し難いものがあるのかも知れません。

年寄りは「今の若いものは・・・」とよく言いますが、これなども、お互いに考え方や行動を理解し難いところから発生しているのでしょうが、常に18歳から20歳過ぎたくらいの若者と一緒に生活している私などは、口には出さないように努めていますが、腹の中では、毎日、「今の若いものは・・・」の連発です。

一番困るのは一から十までことばで説明してやらないと、こちらの考えが伝わらないことです。
授業においては、前に立って話すだけではだめで、ちゃんと刷り物(レジメなど)を準備してやらないといけません。
刷り物を準備するから学生たちは私の話をノートしない。
聞き流すだけだから、頭に残らない。
かといって配った刷り物を読んでくれるかというと、それもないようです。
せいぜい、テストをすれば、配布物が持ち込み可となったときのために、捨てずに持っているくらいが関の山です。
ひどいときには、学生が去った教室の床に寂しく私の配布した授業資料が捨て去られています。

授業だけではなくて、普段の生活の中でも同様です。
口を酸っぱくして説明を繰り返しても、分かってもらえたのかどうか・・・

私と学生たちとの間で、「以心伝心」などということは望むべくもありません。
だいたい「以心伝心」という言葉も通じないかも知れません。
間違いがあってはいけないので、「以心伝心」を三冊の辞書で調べてみました。

「以心伝心」とは禅宗で、言葉では表せない仏法の神髄を無言のうちに弟子に伝えること。また、考えていることが、言葉を使わなくても互いに分かること・・・とあります。
不立文字(ふりゅうもんじ)という言い方もあるようです。

古来、真に大切なことは人の心から心に伝えられてきたのですが、その、心と心が通わないのです。
なんと言っても相手は「新人類」や「宇宙人」なのですから。

こころで感じることは、写真を撮るうえでも大切なことだと思います。
理詰めではなくて、感じ取るこころを培ってあげたいと思うのですが、これこそ「以心伝心」で伝えるべき写真の奥義なのかも知れません。

困った、困った。

さて、今日の写真は・・・
以心伝心で私から免許皆伝を貰った人たちにはわかるかな???

JC1023.042 福岡市西区西ノ浦 EP1mzd17#

JC0804.050 宮崎県川南町 M8.2sn35a#

〈石〉と〈電信柱〉
石と電信柱
石ん電信柱・・・・・・以心伝心

おそまつ。
やはり、私も「宇宙人」と同じ、1947年生まれの「半宇宙人」
鬼太郎の〈ねずみ男〉なみの中途半端な奴ですかね。





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みかん猫67

卒業制作のための撮影旅行に出かけていた四年生のNY君が今朝、ひょっこりと研究室に顔を出しました。
月曜まで撮影のための旅行を続けていると思っていたので驚きました。

ちょうど撮影に出ようとしていたところだったので、NY君に、「一緒に行かないか」と言うと、これからまた関西方面に撮影に出るとのこと。
宮崎からの土産、「地鶏の炭火焼き」を私に届けるためにわざわざ訪ねてくれたらしく、またすぐに大阪・京都に出かけると笑顔で話していました。
充実した制作が出来ているようで、これまでに見たこともないほど、NY君の顔は輝いていました。
若いとはなんとすばらしいことかと、羨ましい限りです。

卒業制作もこの時期になると、学生諸君から泣き言が入るのが普通です。
残り時間が少なくなることで、弱腰になり、初期の計画から質的低下を招く軌道修正がなされるのが一般的なのですが、NY君の場合、日を追うごとに気合いが入ってきています。
NY君とは、関西から帰ってきたら旨いものを食いに連れて行く約束をして分かれました。

N君は大阪へ。そして私は福岡の西、糸島へ。
糸島といっても島ではありません。
卒業生のUJ君が展覧会を開催していて、それを拝見するためにUJ君の運転する車で出かけました。

写真展は福岡市に西の端の海沿いの会場で行われていました。
リバーサルフィルムで撮影したものを、小全紙サイズにダイレクトプリントした作品が会場に並んでいました。
最近ではデジタル出力されたプリントばかり見て来ているので、リバーサルフィルムからのプリントが醸し出す独特の調子に惹き付けられました。

銀塩の黒白、リバーサル、ネガカラー、それにデジタルの黒白やカラー、加えて、プリントや出力の違いなどで、写真の表現方法はいろいろなバリエーションを楽しめるようになりました。
それらは、それぞれに個性があり、それぞれが魅力的であることを、今回のUJ君の展覧会を拝見して再認識させられました。

本日は写真展を見て、撮影をして、写真三昧の一日でした。

さて、今日の写真ですが、本来なら本日撮影した写真を見て頂くのが一番なのですが、実はまだ現像が仕上がっていません。
それに、まだ鹿児島の写真も残っていますので鹿児島の写真にしました。

最初に話題にしたNY君、実は鹿児島の出身です。
薩摩隼人です。
少々頑固ですが、その頑固さが、卒業制作の頑張りに生かされているように思えます。
風土が、そこで育つ人間に影響を与えることは確かです。
桜島が火を噴くように、その噴煙を見ながら育った人間が、火を噴いたときに本領を発揮するのでしょう。

ということで、今日は〈桜島〉です。

JC1009.068 鹿児島市本港新町 M9sn35a#

JC1010.059 鹿児島市柳町 M9sn35a#

JC1010.096 鹿児島市武 M9sn35a#

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みかん猫67

昨日の〈亀カメラ〉は、思わぬ方向に話が言ってしまいました。
〈亀カメラ〉は出たとこ勝負ですから、どんな話の展開になっても不思議はないのですが、書き出したあたりで、ある方向性みたいなものが芽生えてきて、それに従って書き上げるのです。
昨日は、それが見事に覆されてしまったと云う次第です。

その、書き始めに思っていた方向で、今日、改めて書いてみます。
はたして、思い通りに結末を迎えることができるかどうか、いささか心もとない気もしますが、もともと結論なんて見えていないのですから。

「足の向くまま気の向くまま」って気楽なもんだねと言われそうですが、正直、気楽なもんです。
でも、この気楽さは誰もが楽しめるものではないかも知れません。(ここは、昨日と同じ文章です。)

気楽を装っていても、実は、長年の経験がものを言っているのですよ。
天賦の才能を持った人も居ますが、私の場合は、ながくやってきたという、経験の長さだけで培った感性とでも言いましょうか・・・

なんとなく、こちらに行けば何かがありそう・・・といったものを嗅ぎ分ける嗅覚みたいなものが身に備わっているように思います。
「足の向くまま、気の向くまま」なんて気楽なことを言ってみせるのですが、誰にでも出来る芸当だとは思っていないのです。

天賦の才能を持った人か、経験を積んだ人だけがもつ能力。

その、能力を養うには、普段から「勘」を働かせることが重要なのです。
そうしているうちに、受信機みたいなものが身に備わってくるはずです。
後は、その受信機の感度を上げて行く。

だから、どんどん歩いて、どんどん写真を撮りなさいと、若い学生たちに言うのですが、写真よりも金儲けの方が面白いとみえて、なかなか言うことを聞いてくれません。
観察する目と、聞く耳を持たない人に、写真を撮れと言っても詮無いことです。

写真仲間と一緒に撮影をしながら歩くことがあるのですが、そんなときにいつも感じることは、写真の上手い人の歩く先には小躍りしたくなるような何かが待ってくれているということです。
つまり、そんな人は、凄く感度の良い受信機を持っているのです。
羨ましい限りです。

私の受信機はちょっと感度が鈍いようですから、その分を足で稼ぐしかないのです。

鹿児島でも、ずいぶんと歩きました。
それこそ、おんぼろ受信機を頼りに、あっちうろうろ、こっちちょろちょろ。
日が暮れて、夜道に迷い、「ここは何処?」といった所で見つけた電球の下の自転車。
そして、次の朝、通い慣れた名山町で出会った朝日のなかの自転車。

JC1009.119 鹿児島市真砂町 M9sn35a#

JC1010.014 鹿児島市山下町 M9sn35a#


「犬も歩けば棒にあたる」ではなくて、「犬も歩けば自転車にあたる」・・・交通事故みたいですね。


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みかん猫67

私は足の向くまま気の向くままに歩いて、偶然の出会いを楽しみながら写真を撮っています。
歩くから、写真に撮りたくなるものに出会えると思っています。

「足の向くまま気の向くまま」って気楽なもんだねと言われそうですが、正直、気楽なもんです。
でも、この気楽さは誰もが楽しめるものではないかも知れません。

先ずは浮き世の欲や世間体といったしがらみと決別しなければなりません。
これは、誰にでも出来る芸当ではないですよ。
特に若い人には難しい。

だから、若い奴は駄目だと言うのではありません。
欲があるのが若さですから。
欲は若さの源。
出世欲、金銭欲、名誉欲・・・
いろんな欲が人を突き動かすのも事実ですから。

私くらいの歳になると、欲から適当な距離を置くことができるようになります。
普通はね。
そうなったときに、本当の趣味人になれるのです。

そうか、私の写真は〈趣味〉なんだ。
ところで、〈趣味〉って?
手元にある三冊の辞書を引き比べてみました。
1.専門としてではなく、楽しみとしてすること。
2.仕事ではなく、個人の楽しみとする事柄。
3.余技・・・などと辞書には書かれています。

職業上、写真は専門領域ですから「専門としてではなく・・・」と言われると、私にとって写真は「趣味」とは言い難いのかも知れません。
仕事ではなく、個人の楽しみとする事柄・・・写真は仕事ですね。
また、私と写真との関係は〈余技〉では済ませられないものがあります。
だとすると〈趣味〉なんて言ってはいけないのかも知れません。

でも、楽しみとして写真をやっていることは間違いありません。
そうか、「趣味と実益を兼ねる」というやつですかね。
好きなことをして生活が出来る・・・羨ましがられる立場ですね。
だから、私のゼミの卒業生のU君は、私の後釜を望んでいるのかな。

私はまだまだ浮き世に欲も未練もありますから、そう簡単にU君に席は譲りませんよ。
おやおや、「欲と決別」なんて言っておきながら話が違う。
それで良いんですよ。
それが浮き世の常ですから。

今日は、鹿児島で撮った、浮世離れした写真ということで下の二枚を選んでみました。
鹿児島から戻って、気になる写真を選んで調整をし、保存しておいたものの中から何が嬉しくてこんな写真を・・・と自分でも思う写真です。

JC1009.072 鹿児島市小川町 M9sn35a#

JC1009.067 鹿児島市小川町 M9sn35a#

どうです、世間体を気にしていたら見せられない写真だと思いませんか。
自分本位。
だから、楽しいのですよ。

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みかん猫67

鹿児島の町で目配り

車でもなく、自転車でもなく、歩くテンポが被写体見つけるのに丁度良いのですが、それにしても、ただ漫然と歩いていたのでは見つけられるものも見逃してしまうでしょう。

歩く行為の中で、〈目配り〉が必要なのです。
わたしたちは見つけなければならないのです。
周りの世界に〈配慮〉を怠ってはいけないのです。

でも、〈血眼〉は嫌ですね。
あくまで、涼しい顔で歩き、さりげなく立ち止まり、舞落ちる羽毛のように軽やかにシャッターを押す・・・そうありたいものです。
それには、五感を解き放っておかなければいけません。
目は携帯電話の液晶画面に釘付けになり、耳はヘッドフォンステレオのイヤフィンで塞がれていたのでは駄目です。


JC1009.014 鹿児島市名山町 M9sn35a#

歩いていると、なんとも不思議な光景に出くわすことがあります。
上の写真は鹿児島の名山町で見たものです。
提灯が下がり、戸が開いていて、お店の入り口らしい雰囲気はあるのですが、入り口にあたるところに、でんとエアコンの室外機が居座っていました。

入り口のようであり、入り口でなし・・・といったところです。
この店に入るときは、室外機を跨がないといけないのでしょうか。
だとしたら、私のように小股が切れ上がっていない???
小股云々は女性に使うことばですよね。

変な修飾はやめにして素直に言うと、室外機をまたげないような、そんな足の短い男はこの店では「入店お断り」ということです。
それにしても、この状況、不思議ですよね。


JC1010.056 鹿児島市柳町 M9sn35a#

もう一つ、なんだか分からないものを鹿児島で見つけました。
JRの施設です。
金属のドアがいくつも並んでいて・・・おそらく倉庫だと思うのですが・・・ドアの上にはそれぞれ数字が振ってありました。

そのなかの〈2〉のところだけがコンクリートで塗り固められていたのです。
開かずのドアどころか、塗り込められたドアです。
いったいこれは何故?
ドアがあたっと思える箇所の下の方に空気抜きがありますので、この向こうには空間があると思いますが・・・
これまた、不思議でしょ。

自分の写真の系列のなかに入る入らないは別にして、心が動いたときには「とりあえず」といったかけ声とともにシャッターを押しておくのです。


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みかん猫67

私はいい加減な写真の楽しみ方をしていますので、何処に出かけて何を撮る・・・なんてことはあまり考えません。
普段の生活の中で気になったものを、意味も分からないまま撮っています。
足が止まった理由なんて現場で考えません。
目の前のものをどう撮るかということしか考えていません。
いや、もっと正しい言い方をすると、どう撮るかも頭では考えていません。
ただ感覚の命ずるまま・・・と言った方が正確です。

写真は運動と一緒で、極めて身体的行為だと思っています。
体に叩き込まれた反射神経だけで動いているようなところがあります。
運動選手が練習を繰り返しおこなうことで、動きのリズムを身につけるとともに、咄嗟のあらゆる状況においても、最善の動きが出来るようになるのでしょう。

先ほど、写真も運動と同じで極めて身体的行為だと言いました。だとすると、写真も練習を繰り返すことが大事だと言えます。
写真の場合、場数を踏むこと・・・繰り返し撮影し、経験を積むことであらゆる状況下で的確な判断ができるようになるのでしょう。

しかし、最近ではカメラなどの写真環境がどんどん進化していますので、技術的な失敗といったものが少なくなってきました。
だとすると、写真を撮る人間が最後になすべきことは、見つけることと、観察すること。そして、的確な表現力を添えて写真にしていくことです。

私は歩いて写真を撮ります。
車に乗っていたのでは、細かな物は見えません。
自転車に乗っていても、見落としてしまうものがたくさんあります。
私の写真の場合、些細なものやことを気にして撮ったものがほとんどですから、車やバイクや自転車など便利な乗り物の乗っていたのでは見つけることができないものばかりです。
つまり、「取るに足らない」ものばかり・・・写真だから「取る」ではなくて、「撮るに足らない」でしょうか。
撮るに足らないもの見つけられる。
それが歩く速さなのかも知れません。

そこで、今日も鹿児島で撮った猫の写真です。
今日の切り口は「こんなところに猫」です。
いずれの猫も、歩いていたから見つけられた猫たちです。

JC1009.079 鹿児島市易居町 M9sn35a#

JC1009.034 鹿児島市名山町 M9sn35a#

JC1009.083 鹿児島市易居町 M9sn35a#

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